医療法人社団充友会事件‐東京地判 平29・12・22 判例時報2380号100頁

【事案】
 Xが,Yに対し,出産のため休業中,自己都合退職の事実がないのに退職したものと扱われた上,育児休業給付等の受給を妨げられたと主張して,労働契約上の権利を有する地位にあることの確認等を求めたもの。

【判断】
「ア 退職の意思表示は,退職(労働契約関係の解消)という法律効果を目指す効果意思たる退職の意思を確定的に表明するものと認められるものであることを要し,将来の不確定な見込みの言及では足りない。退職の意思表示は,労働者にとって生活の原資となる資金の源たる職を失うという重大な効果をもたらす重要な意思表示であり,取り分け口頭又はこれに準じる挙動による場合は,その性質上,その存在や内容,意味,趣旨が多義的な曖昧なものになりがちであるから,退職の意思を確定的に表明する意思表示があったと認めることは慎重を期する必要がある。
 また,我が国の雇用社会では,継続的な労働契約関係にあった労働者が自らの意思で退職しようとするときは,使用者に対し,書面にて辞表,退職届又は退職願を提出することが通常であり,使用者の側も労働者の退職の意思を明確にさせ,退職手続を進める上でも便宜であるため,そのような書面の提出を促すことが多い。…証拠《略》によれば,Yにおいても,Xとの労働契約書及びY就業規則49条1項において,従業員が自己の都合で退職しようとする場合には30日前の書面による申出又は1か月前までの退職願の提出を行うことを定めて,退職の意思表示は書面によることを予定しており,実際,Yは,Xに退職願用紙を送付し,退職願を得ようとしている。このような慣行等に照らしても,書面によらない退職の意思表示の認定には慎重を期する必要がある。むしろ,辞表,退職届,退職願又はこれに類する書面を提出されていない事実は,退職の意思表示を示す直接証拠が存在しないというだけではなく,具体的な事情によっては,退職の意思表示がなかったことを推測しうる事実というべきである。
 ラインでの会話は,内容そのものは記録され明確ではあるが,簡略化した短文のみで会話されることが多く,打ち間違いによる誤字・脱字も発生しやすいから,やはりその意味や趣旨が曖昧になりがちである。また,口頭や電話での会話の延長として利用されることが多く,社会生活上重要な意思表示や意思確認の手段に用いられることは少ないから,ラインの会話をもって,退職の意思を確定的に表明する意思表示があったと認めることには慎重を期する必要があると考えられる。
 イ 特に,XとYとの間の紛争は,Xの妊娠,出産,産前・産後休業及び育児休業の取得並びに職場復帰に関するものでもあるところ,雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律(以下「均等法」という。)9条3項,同法施行規則2条の2及び育児・介護休業法10条は,妊娠や出産,産前・産後休業,育児休業の取得などを理由とする解雇その他不利益な取り扱いを禁じており,この「不利益な取り扱い」には退職の強要が含まれ,労働者の表面上の同意があっても真意に基づかない勧奨退職はこの退職の強要に該当するから,退職の意思表示があったこと,その意思表示が労働者の真意(自由な意思)に基づくことの認定は慎重に行うべきである(「労働者に対する性別を理由とする差別の禁止等に関する規定に定める事項に関し,事業主が適切に対応するための指針」第4の3(2)ニ,(3)イ,「子の養育又は家族の介護を行い,又は行うこととなる労働者の職業生活と家庭生活との両立が図られるようにするために事業主が講ずべき措置に関する指針」11(2)ニ,(3)イ,最判平成26年10月23日民集68巻8号1270頁,東京地立川支判平成29年1月31日労働判例1156号11頁各参照)。」

「ア …認定判断を総合すれば,Xには退職の意思もそれを表示する言動もなく,むしろ,乙山理事長,丙野職員及び同僚職員らに対し,育児休業を取得した上,職場復帰する意思を表示し,育児休業取得の手続を進めるための必要書類をY及び7A社労士事務所に求めていたが,乙山理事長は,平成28年1月以降,Xに不快感を抱いて,強引に退職扱いにしようと考え,1月21日ライン会話における片言隻言を歪めて解釈して,Xが退職の意思表示をしたと決めつけて,Xを退職扱いにして,事実上解雇し,また,Xからの上記必要書類送付の依頼も無視して,Y及びA社労士事務所をして上記必要書類を送付させないことで,Xが育児休業を書面で正式に申し出ることを妨げて,育児休業取得を拒否したというべきである。」

「ア 労働契約関係が存続し,労働者が労務を提供する意思と能力を有しているにもかかわらず,使用者が労働契約関係の終了を主張するなどして,正当な理由なく労務の提供の受領を拒んだときは,労働者は,就労できなくとも,民法536条2項に基づき,使用者の責に帰すべき事由によって就労できなかったものとして賃金支払請求権を失わない。
 ただし,使用者が労務提供の受領を拒んでいても,労働者に労務を提供する意思又は能力がないときは,就労できなかったことが使用者の責に帰すべき事由によるとはいえないから,賃金支払請求権は発生しない。」

「平成28年1月21日(翌月25日に支払うべき賃金の始期)から同年11月20日(同月25日支払の賃金締日)までは第1子に係る産後休業及び育児休業取得のため,平成29年10月5日ころ(同年9月,同年10月各日支払の賃金の締日である毎月20日の中間日ころ)から平成30年4月20日までは第2子に係る産前・産後休業及び育児休業のため,Xの就労の意思及び能力の存在を認めることはできないから,これらの始期に係る賃金支払請求権は発生しないというべきである。他方,その余の期間は,就労の意思及び能力が存し,賃金支払請求権の発生は妨げられないというべきである。」

「Yは,Xを違法に退職扱いし,育児休業取得に伴う育児休業給付金の受給を妨げた不法行為に基づき,育児休業給付金相当額及び弁護士費用の損害賠償として金…円及びこれに対する不法行為以降の日となる平成28年11月28日(育児休業終了予定日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を支払うべきである(主文2項(1)。)

「賞与が具体的な請求権として発生するためには,賞与の支給要件が労働契約,就業規則,慣行等で具体的に定められており,かつ,その要件が具備されていることを要し,その要件として使用者の査定その他の決定を要することが定められているときは,別途,これに代わる労使間の合意又は慣行がない限り,その査定その他の決定がされていることも要するというべきである(最判平成27年3月5日判例タイムズ1416号64頁参照)。」

「(4) …賞与が具体的な請求権として発生するための要件が具備されたと認めることはできないから,Xの賞与支払請求には理由がない。
 (5) ただし,賞与の支給及び算定が,使用者の査定その他の決定に委ねられていても,使用者は,その決定権限を公正に行使すべきで,裁量権を濫用することは許されず,使用者が公正に決定権限を行使することに対する労働者の期待は法的に保護されるべきであるから,使用者が正当な理由なく査定その他の決定を怠り,又は裁量権を濫用して労働者に不利な査定その他の決定をしたときには,労働者の期待権を違法に侵害するものとして不法行為が成立し,労働者は損害賠償請求ができるというべきである(土田道夫「労働契約法第2版」274頁参照)。」

「(1) 序論
 Xは,Xを退職扱いにして,継続的にXの労働契約上の権利を有する地位を否定し,賃金も支払わないこと,育児休業を取得させず,育児休業給付金の受給を妨げたこと,平成27年12月に支給すべき賞与を支給しなかったことなどの一連の対応を慰謝料の対象となる不法行為として主張するところ,これらは,①Xを退職扱いにしたことによるXの労働契約上の権利を有する地位及び賃金その他の権利に対する侵害と,②平成27年12月に支給すべき賞与を支給しなかったことによる期待権侵害(…)と大別することができるので,以下,それぞれ別個に検討する。
 (2) Xの労働契約上の権利を有する地位及び賃金その他の権利に対する侵害について
 ア …Y及びその代表者であった乙山理事長には,故意又はこれに準じる著しい重大な過失によって合理的な根拠なくXを退職したものと扱い,Xの労働契約上の権利を有する地位及び賃金,育児休業取得その他の権利を違法に侵害する不法行為があり,Yはこれに基づいて乙山理事長個人と連帯した損害賠償責任を免れない。
 イ 証拠《略》,弁論の全趣旨によれば,①Xは,Yに退職扱いされたことで長期にわたって賃金ないし育児休業給付金を得られず,収入が途絶え,収入を補うため,貯金を取り崩したり,親族から借金をしたりせざるを得ず,経済的な打撃を受けたこと,②X及びその家族の収入及び資産に余裕はなく,本件訴訟提起でも民事法律扶助及び訴訟救助を受けたこと,③Xは,出産間もなく,慣れない育児に追われ,精神的にも肉体的にもつらい状況の中,Yから根拠なく退職扱いされたことで強い精神的衝撃を受け,その後,不安感や不眠,焦燥感,気分の落ち込み,情緒不安定などが生じたこと,④Yは,Xの精神的苦痛を慰謝する措置を全く講じておらず,これまで根拠に欠ける不合理な主張を繰り返す,訴訟提起前の交渉で非礼な記載(…)を含む回答書を送付する,「Yは女性に大変優しい職場であるが,XがYから不当に金を取り立て,又は不当に育児休業給付金を受給しようと画策している」かのように主張する,患者にわざと違う薬を渡す危険がXにあるかのように乙山理事長が供述するなどして,Xの心情を著しく逆なでする態度を継続していることが認められる。これらの事情を総合すると,Xには労働契約上の権利を有する地位の確認,賃金及び育児休業給付金相当額等の損害賠償に関する請求が別途認容されても回復しえない重大な精神的損害が発生しているというべきである。
 さらに,…証拠《略》及び弁論の全趣旨によれば,Yは,Xとの本件訴訟の係争を主要な理由として既に解散しており,Y開設の歯科クリニックのうち1か所は乙山理事長の個人経営に引き継がれているも,乙山理事長は形式的な法人格の違いを理由にXとの法律関係を争うことが見込まれ,本判決が確定しても直ちにXの権利が実現し,Xの精神的苦痛が多少なりとも軽減されることを期待できない状況が生じていることが認められる。すなわち,Xは,本判決を債務名義としてYの診療報酬債権を差し押さえて債権の満足を図る方法が想定されたところ,Yは,和議協議を通じて,敗訴を予想するや,その事業を乙山理事長の個人経営に承継させることで,自らに診療報酬債権が発生せず,乙山理事長に診療報酬債権が発生する状態を作出し,その事実を当裁判所及びXに速やかに通知せず,人証調べ実施の直前に通知するという不意打ちをしている。Xは,その権利の実現のため,今後,乙山理事長等に対し,法人格否認の法理,事業譲渡等による労働契約関係その他債務の承継,不法行為,医療法48条1項等に基づく損害賠償責任などを主張する別訴の提起を強いられると見込まれる。別訴では本件訴訟と重複する争点については効率的な審理が可能であるが,独自の争点もあるから審理に相当期間を要することが見込まれ,紛争が継続してXの精神的損害はさらに拡大していくことが推認される。
 他方,本件全証拠に照らしても,Yとの間の紛争の発生に関し,Xに何らかの落ち度があったことは認められない。
 ウ さらに妊娠を理由とする均等法9条3項違反の不利益取扱いとして有効な承諾なく平成20年に降格させ,その後,労働者が退職を選択した事案につき,不法行為に基づき慰謝料100万円を認容した裁判例(広島高判平成27年11月17日労働判例1127号5頁)があるところ,Yは職そのものを直接的に奪っていること,Xには退職の意思表示とみられる余地のある言動はなかったこと,乙山理事長に故意又はこれに準じる著しい重大な過失が認められること,判決確定後も専ら使用者側の都合による被害拡大が見込まれることなどに照らして,上記裁判例の事案よりも違法性及び権利侵害の程度が明らかに強いといえる。いわゆるマタニティ・ハラスメントが社会問題となり,これを根絶すべき社会的要請も平成20年以降も年々高まっていることは公知であることにもかんがみると,Xの精神的苦痛を慰謝するための慰謝料には金…円を要するというべきである。
 (3) 賞与を支給しなかったことによる権利侵害について
 ア …
 イ ところで,均等法9条3項,同法施行規則2条の2は,強行規定として,妊娠,出産,産前・産後休業などを理由とする解雇その他不利益な取り扱いを禁じており(前掲最判平成26年10月23日参照),この「不利益な取り扱い」には「減給をし,又は賞与等において不利益な算定を行うこと」が含まれる。産前・産後休業は年休とは異なり,有給であることは保障されていないから,賞与の支給額の算定に際し,産前・産後休業を出勤と同様に扱わなくとも上記「不利益な取り扱い」とはならないが,賞与の支給額の算定に際し,産前・産後休業の取得などに係る就労しなかった,又は就労できなかった期間を超えて,休業したものとして扱うことは,産前・産後休業による労務不提供を超える不利益を及ぼすものであるから,上記「不利益な取り扱い」に該当し(…),強行規定違反として違法なものと解される(菅野和夫「労働法第11版」256,585頁)。平成27年12月支給の賞与の査定期間は同年6月から11月であるところ(…),Xの産前休業開始は同年10月21日からであるから(…),休業の期間は,査定期間6か月のうち1か月と約10日(約22パーセント)にとどまる。…Y給与規定は査定期間内における出勤の割合を重視しているにもかかわらず,約22パーセントを超えて賞与を減額し,又は不支給とすることは,明らかに休業の期間を超えて休業したものと扱うもので,産前休業を理由とする不利益な「不利益な取り扱い」に該当するというべきである。
 年休に対する不利益措置は,少なくとも不利益措置の趣旨・目的,労働者の経済的利益の程度,年休取得に対する事実上の抑止力の強弱等の諸般の事情を総合して,年休権行使を抑制し,ひいては年休権保障の趣旨を失わせるときは,公序に反し,違法・無効であると解される(労働基準法附則136条参照)。使用者が賞与の計算で年休取得日を欠勤として扱うことは,労働基準法39条7項が使用者に対し年休の期間について一定の賃金の支払を義務付けた趣旨に反する上,労働者を賞与の満額支給を確保するためには年休取得を放棄せざるを得ない状況に追い込むことになるから,特段の事情がない限り公序に反するものと解される(最判平成4年2月18日労働判例609号12頁参照)。とりわけ年休取得を理由に賞与を大幅に減額し,又は不支給とすることは,年休取得日にとどまらず,賞与の査定期間で実際に勤務した日の全部又は相当部分をも欠勤扱いとするも同然で,年休権行使を強く抑制し,ひいては年休権保障の趣旨を著しく失わせることが明らかである。」