狩野ジャパン事件‐長崎地大村支判 令元・9・26 労働経済判例速報2402号3頁

【事案】
 Xが,Yに対し,割増賃金等の支払等を求めたもの。

【判断】
「(2) まず,本件においては,基本給とは別に職務手当が支給されているのであるから(…),固定残業代を基本給から区別することができないという問題は生じないものの,証人C(人証略)によれば,職務手当の中には,固定残業代のほかに,能力に対する対価も混在しているというのであるから,職務手当の支払をもって労働基準法37条の定める割増賃金を支払ったとすることができるためには,固定残業代部分と能力に対する部分とが明確に区分されていることが求められると解される。
 (3) この点,本件において,Xに対し,職務手当のうち固定残業代部分の金額が具体的に明示された形跡はない。
 そこで次に,Xに対し,職務手当のうち固定残業代部分が,何時間分の割増賃金に相当するかが明示されたかどうかについて検討する。
 …Yの賃金規定(平成24年6月1日施行)13条には,「職務手当は,固定残業の一部として支給するものとする。その額は月額5,000円から最高70,000円までとする。」定められているのみで,固定残業代部分が何時間分の割増賃金に相当するかは明示されていない。また,…「労働条件通知書(兼 労働条件同意書)」及び「狩野ジャパン就業に関して」と題する書面にも,固定残業代部分が何時間分の割増賃金に相当するかは明示されていない。
 証人Cは,Xに対し,口頭では,30分間をかけて,職務手当に午前8時30分から午前9時までの30分間と午後5時から午後6時までの1時間の時間外労働の1か月分に関する固定残業代が含まれている旨の説明をしたとの証言(人証略)をする。しかしながら,Cは,平成29年2月1日には,これと異なり,…一日2時間分の時間外労働に対する固定残業代であるという趣旨の発言をしていたものであり,さらに,Yは,答弁書(平成30年2月2日付け)では,いずれとも異なり,所定労働時間前の時間外労働が固定残業代でカバーされている旨の主張(何時間分の割増賃金に相当するかは主張していない。(人証略)をし,Y第1準備書面(平成30年4月23日付け)で,主張を変更して,職務手当に午後5時から午後6時までの1時間の時間外労働の1か月分に関する固定残業代が含まれている旨の主張(人証略)をし,Y第3準備書面(平成30年7月9日付け)において,再度,主張を変更して,証人Cの上記証言のような主張(人証略)をするに至ったものである。真にCがXに対して口頭で上記証言のような説明をしていたのであれば,その後,上記のとおりに発言,主張を次々に変遷させることは極めて不自然であり,容易に想定し難い。証人Cの上記証言は,X本人が,5分程度しか説明を受けておらず,内容も理解しづらかった旨の供述(人証略)をしていることに照らしても,採用することができない。
 他に,本件全証拠を検討してみても,Xに対し,職務手当のうち固定残業代部分が,何時間分の割増賃金に相当するかが明示されたことを認めるに足りる証拠はない。
 (4) 以上によれば,職務手当につき,固定残業代部分と能力に対する対価部分とが明確に区分されているということはできないから,職務手当の支払をもって労働基準法37条の定める割増賃金の支払としての効力を認めることはできず,職務手当が割増賃金の算定基礎から除外されるということはできない。」

「Yは,職務手当の支払は割増賃金の支払となると主張するが,前記…のとおり,職務手当の支払をもって労働基準法37条の定める割増賃金の支払としての効力を認めることはできず,Yの上記主張は採用することができない。」

「(ア) 安全配慮義務について
 まず,労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして,疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると,労働者の心身の健康を損なう危険のあることは,周知の事実である。
 そうすると,Yは,Xに対し,従事させる業務を定めてこれを管理するに際し,業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積してXの心身の健康を損なうことがないように注意すべき義務があったというべきである。
 イ 安全配慮義務違反について
 本件についてこれをみるに,Xは,…のとおり,平成27年6月1日から退職日である平成29年6月30日までの間において,平成28年1月と平成29年1月を除く全ての月で月100時間以上の時間外等労働を行い,うち,平成27年6月,同年9月,同年10月,平成28年4月,平成29年3月及び同年6月は月150時間以上,平成28年4月に至っては月160時間以上の時間外等労働を行ったこと,平成28年1月と平成29年1月においても,月90時間以上の時間外等労働を行ったことが認められる。Yは,…平成27年6月1日から平成29年1月31日までの期間については36協定を締結することもなく,また,平成29年2月1日以降は労働基準法施行規則6条の2第1項の要件を満たさない36協定を締結して,Xを時間外労働に従事させていた上,証拠(人証略)によれば,上記期間中,タイムカードの打刻時刻から窺われるXの労働状況について注意を払い,Xの作業を確認し,改善指導を行うなどの措置を講じることもなかったことが認められる。
 これに対して,Yは,Xがタイムカードの打刻時刻を意図的に引き延ばしていた旨,Xは作業自体も遅かった上,作業が終了しているにもかかわらず最後まで残っていた旨の主張をし,証人Cも,これと同旨の証言(人証略)をしている。
 しかしながら,Yが,XとともにY本社のLL工場で就業していたG主任のタイムカードを提出せず,Xがタイムカードの打刻時刻を意図的に引き延ばしていたのか,どの程度引き延ばしていたのかについて具体的な立証をしないことに照らすと,証人Cの上記証言は採用することができない。
 以上によれば,Yには安全配慮義務違反があったといえる。
 (2) 一方,Xは,Yが,Xから,平成29年に二度,賃金規定及び36協定を閲覧させるよう求められたにもかかわらず,これを拒否して,Xに退職を余儀なくさせたとも主張する。そして,…Xが,平成29年1月26日にはYの専務取締役に36協定と賃金規定を,平成29年2月1日にはCに36協定と賃金規定の写しを,それぞれ閲覧したい旨申し入れたのに対し,いずれの日においても,D社労士が持っている旨を告げられ,閲覧することができなかったことは認められる。
 しかしながら,…Xは,平成28年11月の時点で,既にYを退職することを決意していたことが認められ,上記の二度のやりとりによって退職を余儀なくされたとは認められないから,この点についての不法行為をいうXの主張は失当である。
 (3) したがって,Yは,Xに対し,不法行為に基づいて,安全配慮義務違反により生じた損害を賠償すべき義務がある。」

「本件において,Xが長時間労働により心身の不調を来したことについては,これを認めるに足りる医学的な証拠はない(なお,Xは,…F診療所において,肺の機能の一部が悪くなっているものの,じん肺ではなく,Yにおける作業が原因であるとも断定できない旨の診断を受けている。)。
 しかしながら,結果的にXが具体的な疾患を発症するに至らなかったとしても,Yは,安全配慮義務を怠り,2年余にわたり,Xを心身の不調を来す危険があるような長時間労働に従事させたのであるから,Xの人格的利益を侵害したものといえる。
 Yの安全配慮義務違反による人格的利益の侵害によりXが精神的苦痛を受けたであろうことは容易に推察されるところ,本件に顕れた諸般の事情を考慮すると,上記精神的苦痛に対する慰謝料は,…円をもって相当と認める。」