広告代理店A社元従業員事件

広告代理店A社元従業員事件‐福岡地判 平28・3・25 労働判例1155号46頁、福岡高判 平28・10・14 労働判例1155号37頁

【事案】
 Xがかつての従業員であったYに対し、損害賠償等の支払を求め、これに対し、YがXに対し、割増賃金等の支払を求めたもの。

【判断】
〔第1審〕
「Yは、Xとの労働契約の終期である平成26年3月末日までは、Xに対し労務を提供すべき義務を負っていたと認められる。
 しかし、・・・Yは、Xにおける長時間の時間外勤務によってうつ病が悪化し、遅くとも同月20日までには、Xにおける労務に服することができない状態になったと認められ、これらの事情によれば、Yは同日以降Xに対し労務を提供することができず、そのことについて、Yの責めに帰すべ.からざる事情があったと認められ、他方、Yが労務不提供を正当化する事由として精神疾患の存在を主張することが信義則に反するとは認められない。なお、本件誓約書には、「理由の如何に関わらず、突然の出社拒否や業務妨害、怠慢などなく通常業務に従事します」との条項があるが(甲3)、当該条項は、出社拒否及び怠慢という文言を用いていることに徴すれば、いかなる理由があろうとも労務を提供する旨を約するものではなく、正当な理由なく労務の提供を拒絶しない旨を約するものであると認められる。
 また、一般に雇用契約において被用者が使用者に対して負う義務が仕事の完成ではないことに徴すると、Yが同日以降Xに対し労務を提供することができず、そのことについてYの責めに帰すべからざる事情がある以上、その結果として、Yが引継ぎを果たすことができなかったとしても、Yはそのことについて債務不履行責任を負うとはいえないが、この点を措くとしても、Yが同月25日にXに対し引継書を送付したことについては当事者間に争いがなく、Xは、その内容が不十分であると判断したのであれば、Yに対して、追加の情報提供等を求めることもできたはずであるところ、Xがそのような行動に出たことを認めるに足りる証拠はなく、このことを踏まえると、Yによる引継ぎが不十分であったとは評し難い。」
「本訴請求のうち、労務の不提供を理由とする損害賠償請求には理由がない。」

「X及びYは、XがYを採用するに際し、本件業務についてC印刷株式会社から支払われるべき報酬をXに帰属させる旨を合意したと認められる。したがって、Yが同社から本件業務の報酬として受領した48万6000円については、Yがこれを受領する法律上の原因を欠くというべきである。なお、上記合意の効力如何によっては、Xは同社に対する報酬請求権を取得し、同社のYに対する報酬の支払によって同報酬請求権は消滅せず、Xに損失はないとも解し得るが、たとえそのような場合であっても、Xにおいて、同社のYに対する報酬の支払を有効なものとして承認した上で、Yに対し、不当利得として、受領した報酬の返還を求めることは許されるというべきである。
 これに対し、Yは、Xに採用される前に本件業務の大半を終えていたと主張するが、XとYが本件業務の報酬をXとYに割合的に帰属させる旨を合意していたことを認めるに足りる証拠はないし、Yの上記主張は上記判断を左右するものではない。」

「未払賃金債権と・・・不当利得返還請求権は、・・・相殺の意思表示により対等額において消滅するところ、相殺適状が生ずる日は、上記不当利得返還請求権が生じた平成26年5月13日であり、相殺の結果、YのXに対する未払賃金請求権及びこれに対する遅延損害金請求権はすべて消滅し、XのYに対する不当利得返還請求権8万0319円が残存する。」

「Xにとっては、Yが平成26年3月14日に同月末日をもって退職したいと申し出たことは当(ママ)突なものであったと認められる。また、Yが当初退職希望の理由として他社で働くことを挙げ、その後に精神疾患を理由として挙げたこと及びYがXに対しそれまでに精神疾患に罹患している旨を告げたとは認められないことを踏まえると、Xにおいて、Yが本当に精神疾患に罹患しているのかを疑ったとしてもやむを得ないといえる。
 そして、・・・X代表者がYに対し本件誓約書への署名、押印を求める際に暴行又は脅迫等を加えたとは認められないし、XがYから診断書の送付を受けて以降も同人に対し執拗に出勤を求めたといった事情も認められない。
 これらの事情を踏まえると、その他本件に顕れた全事情を併せ考慮しても、X代表者がYに対し本件誓約書への署名、押印を求めたことが不法行為法上違法であるとも、安全配慮義務に違反するとも認めることはできない。」


〔控訴審〕
「当裁判所も、Xの本訴請求は原審が認容した限度で理由があると判断するが、原判決と異なり、Yの反訴請求のうち不法行為又は安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求に関する部分は、YがXに対して…円の支払を求める限度で理由があるものと判断する。」

「X代表者は、Yが3月14日に同月末日限りXを退職する旨を申し出たのに対し、飽くまで後任者が採用され同人に対する引継ぎをするまでXでの業務に従事するよう要請し、それまでは退職を認めないとの姿勢を崩さず、そのため3月末日限りでの退職を希望するYと押し問答を続け、これが約2時間に及んだというのである。したがって、上記押し問答があったという約2時間は、その大半がX代表者のYに対する上記引継ぎまでの業務継続の要請及びその説得のために費やされたと推認される。そして、その要請・説得の結果、Yに署名押印させた本件誓約書(甲3)には、・・・記載があるところ、これは取りも直さず、Yの希望に反して、Yが、理由の如何を問わず、その後任者が採用され同人に対する引継ぎが終了するまで退職せずに引き続きXでの業務を行い、これに違反した場合には無条件で多額の損害賠償請求を受けることを容認するという内容であると読めるのであって、それ自体、Yとしては、当時の病状から到底受け入れ難い内容であったと推認される(原判決を引用して認定説示したとおり、上記条項は、その文言にかかわらず、いかなる理由があろうとも労務を提供する旨を約するものではなく、正当な理由なく労務の提供を拒絶しない旨を約するものと解釈すべきものとしても、Yが当時そのような解釈を認識していたとは解されない。また、XとYとの労働契約は、期間の定めのない労働契約であるところ、労働者からする退職の申出は、退職まで2週間の期間を要するのみであり〔民法627条1項〕、同規定は強行規定と解されるから、これに反するXの就業規則ないし本件誓約書の効力には疑義がある。)。
 しかるに、Yは、結局、本件誓約書に署名押印するに至ったものである。したがって、Yが本件誓約書に署名押印したのは、X代表者による長時間に及ぶ説得の結果、いわば押し切られたことによるものであることが明らかである。」
「X代表者は、Yを雇用する使用者として、Yから自己がうつ病に罹患しておりXでの業務に耐えられないとの訴えを受けたのであるから、その詐病を疑ったとしても、Yが真にうつ病に罹患しているか、罹患しているとしてXでの業務遂行が可能なものであるかどうかなどを判断するため、Yから診断書を徴収するなどして、これを慎重に確認した上で、仮にYがうつ病に罹患していたことが確認された場合には、その病状を悪化させないよう退職時期に配慮するなどの対応をとるべき雇用契約上の義務(安全配慮義務)を負っていたというべきである。しかるに、X代表者は、これらの措置を何らとることがないまま、Yの退職の申出をかたくなに拒んで後任者への引継ぎがすむまでXでの業務を継続するよう執拗に要請し、なお脅迫文言と受け取られても仕方がない発言に及んでYの意思決定を拘束し、その結果、Yの申出とは真逆の内容が記載された本件誓約書に署名押印させたものというべきである。したがって、Yが本件誓約書に署名押印するに当たり、物理的強制があったとまでは認められないとしても、Yに対する3月末日限りでの退職申出に対し、後任者が採用され同人に対する引継ぎがされるまで退職を認めないとのX代表者の措置及びこれに至る経緯は、うつ病であるとの申出をした者に対する説得の態様、時間、方法等に照らし社会的相当性を逸脱するものと評価するほかなく、使用者としての安全配慮義務に反する違法なものと評価せざるを得ない。
 したがって、Xは、X代表者のした上記措置及びこれに至る言動によりYに被らせた精神的苦痛に対し、損害賠償をすべき責任がある。」

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