ケー・アイ・エス事件‐東京地判 平28・6・15 労働経済判例速報2296号17頁

【事案】
 Xが、Yに対し、腰痛で休職し、休職期間が経過した後に退職扱いとされたことについて、腰痛は業務上のものであり、労基法19条に違反し無効であるとして地位確認等を求めたもの。

【判断】
「Xの腰痛発症の経緯については、・・・平成20年7月25日、同年10月2日頃及び同年12月5日それぞれの本件作業中に腰を痛めたものと認められる。
 もっとも、同年7月26日の受診時の問診票には、前日の受傷・発症時に関する申述がない一方、「ここ1ケ月症状がひどい」という記載があること(・・・)、平成22年3月16日の受診時のXの申述にも、平成20年5月にサッカーや、同年7月にしたスポーツカーのクラッチ操作で腰を痛めたことに言及がある一方、Yでの作業については同年9月以降のものにしか言及がないこと(・・・)からすると、同年7月25日の作業が腰痛の直接的な原因となっているのか疑問を挟む余地もないではない。
 しかし、平成22年3月8日の受診時のXの申述において、平成20年3月以降、作業中腰を痛めたがすぐに治り、サッカーや車の運転時に簡単に腰痛になるようになり、同年7月の作業中、激しく腰を痛めて医療機関を受診したとあること(・・・)も併せて考えれば、Xの腰痛発症の経緯についての申述は、記憶を整理しないまま思い出した内容をそのまま記載したことが原因となって、内容的な不整合が生じた可能性があり、特に、同年7月26日の受診時は、Yでの作業と腰痛との関係につき、さほど強く自覚、認識していなかった可能性(作業を継続し腰痛の発症を繰り返して、ようやく両者の関係を明確に自覚、認識した可能性)も指摘できる。そうすると、上でみた医療機関に対する申述内容が・・・Xの腰痛の発症経緯と矛盾し、これを覆すに足りるものとまではいえない。
 他方、Xが本件作業に従事し、腰に負担がかかったことにより腰痛が発症した事実自体は認められるとして、その症状がどの程度に重いものであったかについて、Xは、回を重ねるごとに症状が重くなったかのように供述しているものの(書証略)、その点についての確かな裏付けはなく、特に、腰を痛めた後も、作業自体や本来の執務を続けたり、同じ日に宴席に参加したりしたという経緯や、同年10月2日頃及び同年12月5日に腰を痛めた後は、医療機関等を受診していないという経過からすれば、通常の業務や日常生活には支障がなく、外見上はさほど思い症状を示していなかったものと考えるのが自然である。そして、この点は、平成20年12月5日に発症した腰痛がそれまでとは異なってなかなか解消、軽快せず、むしろ、悪化していったことから、平成21年3月14日に整骨院に通院するようになったと述べるXの供述(書証略)とも整合している。さらに、その後、同年4月3日から平成22年1月22日までは整骨院等への通院をやめており、同年2月13日までは医療機関の受診もしていないこと、同年3月頃までに椅子に座ることが困難となり、立ったまま仕事等をするようになったことからすれば、これと前後して、腰痛が重症化しそれがXの外形的な行動等にも反映されていったものと考えられる。
 こうしてXの腰痛が重症化し、それが外形的にも明確に認識されるようになるまでには、Xが最後に本件作業を行った時点からは約1年3か月が経過しており、この間、医療機関に対する申述内容(・・・)からみて、症状は悪化の一途をたどったわけではなく、曲折を経ているものと認められ、この間のシャッターの持ち上げ作業(・・・)、長距離の自転車通勤やその過程で生じた転倒事故(・・・)がXの現在の腰痛の症状に一定の影響を与えた可能性も否定できない。もっとも、上記転倒事故はXの腰痛が相当程度悪化したと考えられる平成22年3月以降に生じたものであるし、シャッターの持ち上げ作業や自転車通勤がXの腰痛に及ぼした影響の大小や寄与の割合の具体的な設定は困難であり、少なくともこれらの事情が本件作業よりも相対的に大きな影響を及ぼしたとまでは認めるに足りないから、結論において、Xの現在の腰痛の症状、就労不能な状態となっていることについて、業務起因性を否定することはできない。なお、Yらは、サッカーや自動車のクラッチ操作、X固有の器質的、精神的心理的要因が腰痛の発症、悪化に影響を与えた可能性を指摘するが、これらについても具体的な影響の存否、大小を認めるに足りる証拠はなく、少なくとも業務起因性を否定するに足りるものではない。
 (3) 業務起因性による解雇制限について
 以上によれば、YがXを平成24年1月20日限りで退職扱いにしたことは、業務上の負傷等による療養のために休業する期間中の解雇に相当し、労働基準法19条1項に違反する無効な措置であるから、Xは、Yに対し、依然として、雇用契約上の権利を有するものというべきである。」