ザ・ウィンザー・ホテルズインターナショナル事件-札幌地判 平23・5・20 労働判例1031号81頁、札幌高判 平24・10・19 労働判例1064号37頁

【事案】
 平成19年2月、Xは、Yとの間で、賃金年額624万2300円(月額52万0191円。手当・賞与なし)という労働契約を締結した。(Yにおいては、他のホテルやレストランからの中途採用で料理人を雇用する場合、前の職場での賃金に近い賃金を総額で提示して雇用することが多く、賃金規程と異なる個別的合意されていることが多く、結果として職種・職責とは無関係に賃金額にばらつきが生じ、不公平感をもたらしていた。)
 平成19年4月、Yは、賃金のばらつきを解消し合理的な賃金体系に改めることとし、職種・職責の割に賃金が安い者の賃上げを行うとともに、賃金が割高な者と個別的に話をして賃下げをすることとし、Xに対しても年額を500万円程度にしたい旨の説明が行われた。Xは120万円もの引下げに納得しなかったが、転居して働き始めた時期に事を荒立てる気になれず、態度を明確にせず「ああ分かりました」という程度の応答をした。(この際、Yからは基本給額・職務手当額・支給趣旨・賞与の有無についての具体的な説明は、口頭でも文書でもなされなかった。)
 Xは、賃下げが不当である旨の抗議などはせず、文句を言わないで支払われる賃金を受領していたが、平成20年4月になって、Yから労働条件確認書への署名押印を求められ、同月29日に署名押印した。(この際、「基本給22万4800円」・「職務手当(割増賃金)15万4400円」・「年2回の賞与(各基本給1か月分)」であることが明記されていた。但し、職務手当が何時間の時間外労働の対価であるかの記載はなかった。)
 平成21年2月19日、Xは、Yからさらに基本給を18万6000円、職務手当7万4700円に減額する旨の説明を受けたが、これを承諾すると当初の年額から45%近く賃金が切り下げられることになり、長時間残業をさせているのに残業代を払わず、一方的に賃金下げをしようとするYに反発を覚え、平成21年4月10に退職をした。
 Xは、Yに対し、Xの同意がない賃金の減額は無効であるとして、①賃金差額の支払い、②未払残業代の支払い、を求めた。

【判断】
〔第1審〕
「Xは、平成20年4月29日、本件契約当初に合意した賃金(基本月額52万0191円)を・・・労働条件確認書のとおり、基本給月額を22万4800円とし、職務手当月額を15万4400円とし、賞与年額を基本給の2か月分とすることに同意したものと認められ、これにより、XとYとの間では、上記賃金を受給する合意が成立したものということができる。」
「Yは、その同意が1年前の平成19年4月に既にされていた旨主張するが、その事実を認めるための直接的な証拠は見当たらないし、その事実を推認するに足る間接的事実も十分とはいえない。」
「賃金の減額の説明を受けた労働者が、無下に賃金減額を拒否して経営者側に楯突く人物として不評を買ったりしないよう、その場では当たり障りのない返事をしておくことは往々にしてあり得ることである。しかし、実際には、賃金は、労働条件の中でも最重要事項であり、賃金減額は労働者の生活を直撃する重大事であるから、二つ返事で軽々に承諾できることではないのである。そのようなことは、多くの事業経営者が良く知るところであり、したがって、通常は(労務管理に腐心している企業では必ずと言っていいくらい)、賃金減額の合意は書面を取り交わして行われるのである。逆に言えば、口頭での遣り取りから、賃金減額に対する労働者の確定的な同意を認定することについては慎重でなければならないということである。Xが供述する程度の返事は「会社の説明は良く分かった」という程度の重みのものと考えるべきであり、この程度の返事がされたからといって、年額にして120万円もの賃金減額にXが同意した事実を認定すべきではないと思料される。」
「賃金減額に不服がある労働者が減額前の賃金を獲得するためには、職場での軋轢も覚悟の上で、労働組合があれば労働組合に相談し、それがなければ労働基準監督官や弁護士に相談し、最終的には裁判手続に訴える必要があるが、そんなことをするくらいなら賃金減額に文句を言わないで済ませるということも往々にしてあることであり、そうだとすれば文句を言わずに減額後の賃金を11か月受け取っていたという事実から、経験則により、Xが賃金減額に同意していたのであろうと推認することも困難である。」
「XとYは、・・・、定額払の時間外賃金として月額15万4400円の職務手当の受給を合意したことになる。」
「Yは、賃金規程10条の計算方法から逆算して本件職務手当が95時間分の時間外賃金であると主張するようである。」
「本件職務手当が95時間分の時間外賃金として合意され、あるいはその旨の就業規則の定めがされた事実を証拠によって認定することは困難であり、むしろ、XとYとの間の定額時間外賃金に関する合意(本件職務手当の受給合意)は、どれだけ時間外労働が発生しても定額時間外賃金以外の時間外賃金を支払わないという趣旨で定額時間外賃金を受給する旨の合意(以下、このような合意を「無制限な合意」という。)であったものと認めるほかないところである。」
「無制限な合意のように見える本件職務手当の受給に関する合意は、一定時間の残業に対する時間外賃金を定額時間外賃金の形で支払う旨の合意であると解釈すべきである。」
「定額時間外賃金が合意されると、その支払がされる分の時間外労働を使用者から要求された場合、労働者は、これを拒否すると賃金の支払が約束されている労働を拒否することになるから、義務として時間外労働をせざるを得ないと考えられる。すなわち、定額時間外賃金の合意は、時間外労働すべき私法上の義務(使用者からみれば権利)を定める合意をも含むものということができる。」
「具体的な時間外労働義務は、労基法36条の協定によって当然に発生するのではなく(この協定は時間外労働させても刑事責任が免責されるとの法的効果をもたらすにすぎない。)、就業規則の定めや合意によって、労基法36条の基準の範囲内で、かつ、合意内容が合理的なものと認められる場合に限り、法的義務として発生されるものと解される(有斐閣・土田道夫「労働契約法」294頁参照。その範囲を超える時間外労働は、法的には、義務の履行としてではなく任意の履行として行われるにすぎないということになる。)。」
「労基法36条の趣旨は、①時間外労働の例外性・臨時性、②仕事と生活の調和、③業務の柔軟な運営の要請を考慮して、一定範囲で時間外労働を適法なものとし、時間外労働の内容を合理的なものにしようとする規定であり、その趣旨は、就業規則や労働契約の解釈指針とすべきである。」
「本件職務手当の受給合意は、労基法36条の上限として広く周知されている月45時間(・・・)を超えて具体的な時間外労働義務を発生させるものと解釈すべきではないといわなければならない。」
「時間外賃金の計算方法に拘泥して職務手当が95時間分の時間外賃金であると解釈するならば、必然的に、職務手当の受給を合意したXは95時間もの時間外労働義務を負うことになるが、このような長時間の時間外労働を義務付けることは、使用者の業務運営に配慮しながらも労働者の生活と仕事を調和させようとする労基法36条の規定を無意味なものとする。そればかりか、今日では、月45時間以上の時間外労働の長期継続が健康を害するおそれがあることが、労基法及び労働者災害補償保険法の解釈適用に関する通達によって指摘されているところであるから(・・・)、月95時間もの時間外労働義務を発生させる合意というものは、公序良俗に反するおそれさえあるといわなければならない。したがって、裁判所としては、Xに支払われた職務手当が95時間分の時間外賃金として合意されていると解釈することはできない。」
「本件職務手当は、基本給を22万4800円とするならば、かなり割高なものとはなるが、これが45時間分の通常残業の対価として合意され、そのようなものとして支払われたと認めるのが相当であり、したがって、月45時間を超えてされた通常残業や深夜業に対しては、別途、就業規則や法令の定めに従って計算される時間外賃金の支払がされなければならない。」

〔控訴審〕
「Yは、・・・(本件変更合意)が平成19年4月の時点で既に成立していた旨主張する。
 しかしながら、・・・平成19年4月にBがXに賃金額を500万円にしたい旨の説明ないし提案をしたが、その提示額のうち、基本給と職務手当それぞれの金額等に関する具体的な説明はなされておらず、他方で、Xはこれに対して、基本給と職務手当の具体的な金額等について尋ねたりすることもなく、「ああ分かりました」などと応答したにとどまるところ、その言葉尻を捉えてXが賃金減額に同意したと解することは、事柄の性質上必ずしも当を得たものとはいえない。何故なら、賃金の減額の説明ないし提案を受けた労働者が、これを無下に拒否して経営者の不評を買ったりしないよう、その場では当たり障りのない応答をすることは往々にしてあり得る一方で、賃金の減額は労働者の生活を大きく左右する重大事であるから、軽々に承諾できるはずはなく、そうであるからこそ、多くの場合に、労務管理者は、書面を取り交わして、その時点における賃金減額の同意を明確にしておくのであって(本件でも、Yは後に労働条件確認書(甲11)を作成している。)、賃金減額に関する口頭でのやり取りから労働者の同意の有無を認定するについては、事柄の性質上、そのやり取りの意味等を慎重に吟味検討する必要があるというべきである。これを本件についてみると、Xの上記応答は、平成19年2月に入社してわずか2か月後に、年額124万円余りの賃金減額という重大な提案を受けた際のものであり、Xの立場からすれば、入社早々で、しかもまだ試用期間中の身でもあり、この提案を拒否する態度を明確にして会社の不評を買いたくないという心理が働く一方で、入社早々にこれほどの賃金減額を直ちに受け入れる心境になれるはずのないことは見易い道理であって、Bの提示額の曖昧さと相まって、上記のとおり抽象的な言い回しであることも併せ考えれば、この応答は、「会社からの説明は分かった」という程度の趣旨に理解するのが相当である。したがって、この応答をもって、年額124万円余りの賃金減額にXが同意したと認めることはできない。」
「賃金減額に不服がある労働者が減額前の賃金を取得するには、職場での軋轢も覚悟した上で、労働組合があれば労働組合に相談し、それがなければ労働基準監督官や弁護士に相談し、最終的には裁判手続をとることが必要になってくるが、そこまでするくらいなら賃金減額に文句を言わないで済ませるという対応も往々にしてあり得ることであり、そうであるとすれば、抗議もしないで減額後の賃金を11か月間受け取っていたのは事前に賃金減額に同意していたからであると推認することも困難である。」
「Xは、平成19年4月に、Bから賃金年額を500万円にしたい旨の説明ないし提案を受け、その際、賃金のばらつきや北海道の賃金水準について説明されたのに対し、「ああ分かりました」と応答しており、これは「会社からの説明は分かった」という趣旨に理解されること、そして、実際に、同年6月25日支払分から平成20年4月25日支払分までの11か月間にわたって、減額後の賃金が支払われるにとどまり、上記説明ないし提案に沿った待遇を受けたのに対し、明示的な抗議をしていないこと、同年4月29日にXが署名押印した労働条件確認書(甲11)は特に複雑なものではなく、むしろ簡略なものであり、賃金に関しては、基本給22万4800円及び職務手当(割増賃金)15万4400円を支払う旨が明確に記載されていることからすれば、Xは、上記書面に署名押印した平成20年4月の時点で、賃金を同書面記載の金額に減額することについて自由な意思で同意したものと認めるのが相当である(・・・)。」
「企業が、賃金計算を簡略化するため、毎月、一定時間までの時間外労働の対価として(時間外労働がその一定時間に満たない場合でも)定額の時間外賃金を支払う旨を労働者と合意し、又は就業規則でその旨を定めることは、それ自体が違法であるとはいえない。」
「Yは、賃金規程10条の計算方法から、本件職務手当が95時間分の時間外賃金であると主張する。
 しかしながら、賃金規程26条1項では、職務手当が深夜勤務(割増率25パーセント)の対価をも含むとされているのに対し、Y主張の計算(・・・)は、深夜勤務を考慮していない点で上記賃金規程と整合していない。そもそも、賃金規程では職務手当に深夜勤務の対価を含むとしているにもかかわらず、Yは、本件職務手当とは別に、深夜勤務手当をXに支払っており、本件職務手当が賃金規程にいう「職務手当」と同一のものなのかも疑問である。
 しかも、Yは、本件職務手当が95時間の時間外労働に対する対価であるとしていながら、95時間を超える残業が生じても、これに対して全く時間外賃金を支払っていない。すなわち、本件職務手当が支払われるようになって以降、95時間を超える通常残業が生じた月は7か月(・・・)あったにもかかわらず、時間外賃金は一度も支払われず(深夜勤務に対する25パーセントの割増賃金だけが一部支払われたにすぎない。)、Xも、本件職務手当以外に時間外賃金が支払われるとは考えていなかったというのである(・・・)。
 上記のような事情からすれば、本件職務手当が95時間分の時間外賃金として合意され、あるいはその旨の就業規則の定めがされたとは認めがたく、むしろ、XとYとの間の定額時間外賃金に関する合意(本件職務手当の受給に関する合意)は、時間外労働が何時間発生したとしても定額時間外賃金以外には時間外賃金を支払わないという趣旨で定額時間外賃金を受給する旨の合意(以下、この合意を「無制限な定額時間外賃金に関する合意」という。)であったものと解される。」
「ある合意が強行法規に反しているとしても、当該合意を強行法規に抵触しない意味内容に解することが可能であり、かつ、そのように解することが当事者の合理的意思に合致する場合には、そのように限定解釈するのが相当であって、強行法規に反する合意を直ちに全面的に無効なものと解するのは相当でない。」
「具体的な時間外労働義務は、労基法36条所定の協定(36協定)によって当然に発生するのではなく(36協定は時間外労働をさせることに関する刑事責任が免責されるという法的効果をもたらすにすぎない。)、就業規則の定めや合意によって、労基法36条の基準の範囲内で、かつ、合意内容が合理的なものと認められる場合に限り、法的義務として発生するものと解されるところ(その範囲を超える時間外労働は、法的には、義務の履行としてではなく、任意の履行として行われるにすぎないということになる。)、労基法36条は、①時間外労働の例外性・臨時性、②仕事と生活の調和、③業務の柔軟な運営の要請を考慮して、一定の範囲で時間外労働を適法なものとし、時間外労働の内容を合理的なものにしようとする規程であるから、その趣旨は就業規則や労働契約の解釈指針とすべきである。
 そうすると、本件職務手当の受給合意について、これを、労基法36条の上限として周知されている月45時間(昭和57年労働省告示第69号・平成4年労働省告示第72号により示されたもの)を超えて具体的な時間外労働義務を発生させるものと解釈するのは相当でない。
 この点、本件職務手当が95時間分の時間外賃金であると解釈すると、本件職務手当の受給を合意したXは95時間の時間外労働義務を負うことになるものと解されるが、このような長時間の時間外労働を義務付けることは、使用者の業務運営に配慮しながらも労働者の生活と仕事を調和させようとする労基法36条の規定を無意味なものとするばかりでなく、安全配慮義務に違反し、公序良俗に反するおそれさえあるというべきである(月45時間以上の時間外労働の長期継続が健康を害するおそれがあることを指摘する厚生労働省労働基準局長の都道府県労働局長宛の平成13年12月12日付け通達-基発第1063号参照)。
 したがって、本件職務手当が95時間分の時間外賃金として合意されていると解釈することはできない。」
「本件職務手当は、45時間分の通常残業の対価として合意され、そのようなものとして支払われたものと認めるのが相当であり、月45時間を超えてされた通常残業及び深夜残業に対しては、別途、就業規則や法令の定めに従って、計算した時間外賃金が支払われなければならない。」

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