麹町社会保険事務所事件-仙台高判 平16・11・24 判時1901号60頁

【事案】
 Xは、Y会社に勤務していたところ、約30万円の月給に基づく厚生年金保険料を給与から天引きされたが、Y会社はXの月給を8万ないし9万2000円に変更したと虚偽の内容を申請し、将来受給する年金が減少することとなった。
 Xは、Y会社に対し、Xから天引きした保険料を横領し、社会保険事務所(現年金事務所)に適正な保険料を納入しなかった不法行為により損害を被ったとして賠償請求を、Y国に対し、社会保険事務所がY会社の虚偽内容の申請を看過して受理し、その真正等を調査すべき義務を怠った過失があるとして国家賠償を請求した。
 1審は、Y会社がXの給与から天引した保険料のうち85万0330円を横領したとして、同額の損害賠償を認容したが、Y国に対する請求は棄却した。 X控訴(Y会社附帯控訴)。

【判断】
(Y会社に対する請求を横領等によって生じた損害(85万3630円)を限度に認容)
「健康保険料及び厚生年金保険料については、各被保険者と事業主がそれぞれ保険料の2分の1を負担する(・・・)が、これを取りまとめて保険者に納付する義務は、被保険者を使用する事業主に課せられている(・・・)。そうすると、事業主は被保険者の負担分につき、求償権を行使できるが、同各法上は、事業主が通貨をもって報酬を支払う場合においては、被保険者の負担すべき前月の標準月額に係る保険料を報酬から控除することができるとする(・・・)。したがって、・・・Y会社は、国に対しては納付する義務があるとともに、XはY会社に対しては、国に納付しない場合には、同額の賃金支払請求権を有していることになる。」
「平成4年ころからY会社の経営は厳しくなり、同年10月ころには、健康保険料及び厚生年金保険料の国への支払もできなくなった状態であったことが認められる。そうすると、Y会社は、Xとの関係では、平成4年10月分の給与から本来支払わなければならない保険料を支払うことができず、したがって、その後も保険料を支払う意思がないにもかかわらず、給与支払明細書には、本来支払うべき保険料を控除した処理をし、その結果、Xは、その控除が正当であって、Y会社が国に対して支払をしていた旨誤信していたものであると認められる。そして、Xは、上記保険料の差額分についてY会社に対し、・・・賃金支払請求権を有するが、Y会社の前記行為によって、賃金支払請求権の行使が事実上困難な状態になり、その結果控訴人は差額分相当額の損害を被ったと認められる。そうすると、Y会社の行為は、Xの上記差額分の支払請求権の行使を事実上困難ならしめたとして不法行為を構成する。」
「Y会社は、業績が悪化し、国が計算どおりの保険料を徴収すればY会社は倒産するしかなく、Xも職を失い、かえって不利益な立場になるところから、厚生年金参加を断絶することなく、給料計算で算出した手取金額をたとえ遅れても確保させるため、実質的な賃金カット(XとY会社との関係で見ると賃金の額面額から保険料差額分が減額されたもので、実質的には賃金カットである。)等を含めY会社の方針に同意してくれた従業員の雇用を維持することが最善の方法と考え、社会保険事務所の了解を得て、本件のような処理をしたのであり、一種の緊急避難的措置であって当然許されるべきであると主張する。しかしながら、Y会社は、社員に対し、会社の窮状を説明したことはあるが、賃金カットの手続を執っているわけではなく、また、健康保険料及び厚生年金保険料に関する取り扱いについて上記のようなY会社の具体的方針をXに説明し了解を得ていたことを認めるに足りる証拠はないので、Y会社の主張は理由がない。」
「Xは、本来の標準報酬額で手続がされた場合の年金額とXが実際に受領することができる年金額との差額についての損害賠償も請求する。
しかしながら、Xは、昭和…生まれで、年金受給権を取得するまでには長期間を要する状況で、将来年金受給権を取得する前に死亡したりその他年金受給権が発生しない場合もあり、また年金制度の変更も予想されるなど多くの不確実な要素があるので、Y会社が前記のような処理をしたことによってXが主張するような損害の発生を認めることはできない。」

(Y国に対する請求は棄却)
「都道府県知事(編注:現規定は厚労大臣)に立入検査等の権限が付与されているが、この権限を行使しないことが直ちに国家賠償法1条1項の適用上違法と評価されるものではなく、その権限の性質等に照らし、権限不行使が許容される限度を逸脱し、著しく合理性を欠くと認められるとき違法となると解するのが相当である。・・・認定事実からすると、麹町社会保険事務所担当者が、本件変更届及び添付書類について審査し、・・・認定の判断をしてそれ以上の調査をしていなかったとしても、許容される限度を逸脱し、著しく合理性を欠くものと認めることはできない。」